下の記事は2015年3月9日付日経新聞の記事である。
私たちは原発の危険性を言い、そして私は即時廃炉を主張しているのだが、原発の地元では全く別の経済的感覚でものごとが進んでいることをこの記事は活写している。
人は、しばしば現実の問題から発想するのではなく、(この場合は原発の危険性と言う客観的事実。もちろんこれを客観的事実でない、と言う人たちも多数いるだろうことを承知の上で書くのだが。少なくともこの記事は核のゴミの処分にリアリティ-がない事は認めている。)自分たちの生活の向上(安定)と言う願望に現実を合わせるように発想する傾向がある。
福島の高線量地域に住み続ける人々の発想もこれと同様だろう。現実の危険よりも、住み続けたいと言う自分の心に合わせて危険性から目を背けている。福島では、既に放射線による疾病の増加が指摘されており、何年か先には誰の目にも見えるようになるであろう。しかし多くの人は、その時になっても、依然権力者の喧伝する直接の因果関係はないとするウソにしがみつこうとするであろう。
私たちの原発の危険性を指摘する声は、簡単には地元の人の心には届かない。
原発から他の産業に転換し、地元に雇用を作り出す政策を政府が打ち出せば流れは変わるのだろう。福島では、放射線の数値を隠蔽せず、高線量地域からの移住の政策を決めていれば、現実に起きている(そして将来激増する)放射線による疾病を防ぐことが出来ただろう。
現実は、自民党にも民主党にもそれを期待することは出来ない。
まさに、記事が述べているように(別の次元だが)袋小路である。
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