2015年11月1日日曜日

地表からの長波長放射がCO2を暖めているのが温暖化の原因?その1 15-11-01

前回の”海の温暖化の原因は その1”では、先ず二酸化炭素が暖められ、その熱が海に入って海水面の温度を上昇させていると言う、二酸化炭素温暖化原因説に疑義を唱えた。
地球温暖化のメカニズムを説明する図を検索すると、下の図の見られるように多くの図が出て来る。このページだけでなく、まだ何ページも出て来る。


その中から比較的分かり易い図を下に2枚表示する。
引用元の書き込みは筆者である。

温暖化効果ガスがちょうど布団のように地表からの放射を吸収して大気を暖めている様子を表現している。
上の図は子供向けに描かれているので、単に”熱”とだけ書いているが、下の図でははっきりと”赤外線”と書いてある。また、下の図では主な温暖化効果ガス(温室効果ガス)の種類も書いてある。
ただし面白いのは、上の図で、平均気温15℃と書いている点である。
子どもに繰り返しこの図を見せれば、温室効果ガスが地表からの熱(赤外線)を捉えて地球を暖めるのだと言う認識が沁み込んで行くのだろう。



実を言うと私も、この問題を本格的に調べ始めるまでは、太陽から来た短波長の光が長波長側へずれて宇宙に放射されるのだろう、位に受け止めていた。
しかしいろいろ調べてみると、”地表から放射される赤外線”と言うのは288K(15℃)放射以外にないはずだと考えるようになった。
そこで、地表から放射される赤外線にどの位のエネルギーがあるか調べる事にした。

<次回に続く>

<蛇足>
”地球温暖化 図”で検索するとこんな図も出て来た。


温暖化で棲み処を失う可哀そうなシロクマちゃん!



2015年10月28日水曜日

海の温暖化の原因は その1 15-10-1

地球温暖化について書いた最後のページ「北極海の海氷域面積が減少する原因-2 14-01-1」の末尾で”次回は北大西洋とその周辺の海の海水面の温度上昇の理由について考えてみたい。”と書いたが、構成の都合で海の温暖化の原因を別の観点から考えてみることにした。

それにしても、1年10カ月も放って置いたことはカッコ悪い。これから暫く集中して書き進めたい。

1枚目と2枚目の図は、気象庁のサイトから採った”世界の年平均気温の変化”と”世界の年平均海面水温の変化”の図である。
100年間での温度上昇の数値は異なるが、変化のパターン(特に5年移動平均の曲線)はぴったり一致していると言ってもいい。
ただし、気温の上昇率は0.70℃/100年で海水面の温度の0.51℃/100年よりもやや高い。この理由を陸地では人間活動の結果としての排熱が押し上げていると解釈するだけでいいかどうかは、もっと後で検討したい。

変化のパターンがほぼ一致している理由を、”海面上の大気はその下の海水温から熱をもらい、さらにそれが対流によって拡散した結果”と考えれば、素直に受け入れられる。3番目に模式図として示した。
図の右側のポヤポヤは潜熱を表した積り。

しかしIPCCの考え方は異なるようで、大気からの熱が海に入る(大気からだけとは言ってないが・・・)事になっている(4番目の図)。(蛍光マーカーは筆者)

しかし、大気からの熱がどうやって海に入るのだろうか?
その疑問を5番目の図にまとめてみた。
二つの考え方がある。
一つは、大気と海面との間で熱交換が起こる。
もう一つは、大気中の熱が雨で海に落とされる、である。
一つ目の”大気が海に熱を与える”は図に見られるとおり、上層の暖かい大気が下降して熱を与え、熱を与えて冷えた大気が上昇しない限り(そして海の中ではその逆が起こらない限り)、起こらない。
図の中でも書いたが、”大気中の熱が雨で海に落とされて海を暖める”なら成り立つかも知れない。ただしこれも、海を100年間で海を0.51℃暖めるためには(海の温暖化が100%大気の熱から起こるとした場合)、大気の温度が510℃上がらなければならない。平均水深の1/5程度の深さまで熱が到達したと想定しても100年間で102℃上がらなければそれは起こらない。
さらに、今の仮定は大気の熱が100%雨で落とされた場合である。
6番目の図は、ちょうどこの文章を書いている2,015年10月27日の気象衛星の画像(全球)であるが、雲のある面積は10%位であろうか。そして、雲の下で常に雨が降っている訳ではない。
この程度の雨で大気からの熱が海に入って海を暖めるのだとすると、海に落ちずに残った大気の熱はいかほどのものになるのだろう。

面妖な事である。

それに、4番目の図中では“海面付近の水温が温室効果ガス濃度の変化のような気候の強制力に応答して平衡に達するには、10年ほどかかる。”(蛍光マーカーの辺り)と書かれている。
一方、先に述べたように、気温と海水面の温度は時間差なしに連動している。

二酸化炭素が大気を暖めるのが地球温暖化の原因であるとする考え方は、海の温暖化を見た時に、受け入れづらい。
海洋が暖められ、その結果として大気の温度も上昇した、と考えるのがやはり自然であろう。














2015年7月26日日曜日

「直流のエアコンができた」 エッ、それが世界初? 15-07-02

Yahooニュースに右の様な記事が載っていた(元は読売新聞)。
シャープが世界初の直流エアコン、と言うことで、太陽光パネルや燃料電池で発電された直流の電気をそのまま家電で使えるため、省エネになる、と説明している。
しかし、家電製品は(パソコンも含め)ほとんどすべて直流で動作し、すべて交流を直流に変換して使っている。
私は、以前から家庭に入る時点で直流に変換して電気製品はにすべて直流で給電すれば省エネになるのではないかと考えていた。あるいは地域全体で直流送電に変えればかなり省エネになるのではないかと考えていた。
ただ、電気の専門家に聞くと、皆否定的であった。
今回の直流エアコンがきっかけになって、家電全般での省エネが進むといいと思う。
この記事の残念な点は、太陽光パネルからの直流の電気を交流に変換する時に損失があることを書いているが、交流を機器で使用する際に直流に変換しているため、これまで二重に損失があった事には触れていないこと。
そうすれば、もっとインパクトがある。

2015年7月3日金曜日

海の温暖化はもっと取り上げられるべきである 15-07-01

今日(2015年7月3日)に日経の夕刊の記事である。
ただ気になるのが、「今の状態の二酸化炭素排出が続けば・・・」と言う記述。
二酸化炭素が大気を暖め、それが海に入って・・・と言う図式なのだが、 いろいろ計算するとどうも納得しづらい。
このブログの進行を急がないといけない。

で次から海の温暖化について早急に再開します。

2015年3月9日月曜日

原子力発電の危険性と地元の思い 15-03-01

 下の記事は2015年3月9日付日経新聞の記事である。
 私たちは原発の危険性を言い、そして私は即時廃炉を主張しているのだが、原発の地元では全く別の経済的感覚でものごとが進んでいることをこの記事は活写している。
 人は、しばしば現実の問題から発想するのではなく、(この場合は原発の危険性と言う客観的事実。もちろんこれを客観的事実でない、と言う人たちも多数いるだろうことを承知の上で書くのだが。少なくともこの記事は核のゴミの処分にリアリティ-がない事は認めている。)自分たちの生活の向上(安定)と言う願望に現実を合わせるように発想する傾向がある。

 福島の高線量地域に住み続ける人々の発想もこれと同様だろう。現実の危険よりも、住み続けたいと言う自分の心に合わせて危険性から目を背けている。福島では、既に放射線による疾病の増加が指摘されており、何年か先には誰の目にも見えるようになるであろう。しかし多くの人は、その時になっても、依然権力者の喧伝する直接の因果関係はないとするウソにしがみつこうとするであろう。
 私たちの原発の危険性を指摘する声は、簡単には地元の人の心には届かない。
 原発から他の産業に転換し、地元に雇用を作り出す政策を政府が打ち出せば流れは変わるのだろう。福島では、放射線の数値を隠蔽せず、高線量地域からの移住の政策を決めていれば、現実に起きている(そして将来激増する)放射線による疾病を防ぐことが出来ただろう。
 現実は、自民党にも民主党にもそれを期待することは出来ない。
 まさに、記事が述べているように(別の次元だが)袋小路である。

2015年1月8日木曜日

原油安でも値上げせざるを得ない関西電力

右は2015年1月8日付の日経朝刊の記事である。
家計への恩恵が広がっている、と言う内容であるが、オバカな円安・インフレ政策がなければ、もっと恩恵があったであろうに、と思うと腹が立つ。

それはそれとして、注目されるのが下の方の蛍光ペンでマークした部分である。
北陸電力、四国電力はすでに料金を値下げしており、東電、中電も”円安が進行しなければ”この春から値下げになりそうである。
その一方で、関西電力は値上げをしなければならない情況であると報道されている。大手メディアはこのような記事を書きながら、関電の赤字の構造には踏み込もうとしない。
東電・中電等の他の電力会社と関電の最大の違いは原発の保有比率の違いである。これまでも大手メディアは、 原発停止が化石燃料の輸入を増やし、電力料金の値上げを招いた、と書き続けて来ているが、何のことはない、動かない原発の固定負担の重さが赤字を産み出していただけであることがここから明らかになっている。総括原価方式の下、多額の初期投資を必要とする原発がより大きな利益を生む構造に頼って来た関西電力が今却って苦境に陥っているだけの話である。
笑い話では済まない話であるが、こっけいな話である。